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旅のプロ、旅へ出る

古代ロマンと三途の川を渡る旅~恐山・三内丸山・青森県旅行~


60の還暦も過ぎれば、体力も無くなるだろう、ちと家でごろりごろりするか、、、と思いきや、相変わらずあっちへこっちへ旅行をする両親。知らない事を知らずに、見たいものを見ずして死ねない性質らしい。

関西に住む両親と東京にいる姉と私の家族旅行は数年前から始まった毎年のビッグイベント。
両親の希望を聞きつつ、企画はするものの、いつも中々満足はしてくれない。
それでも希望は聞き飽きる程、幾つも出てくる。但し基本は任せる!だ、これが困る。

古代浪漫の本に感化された父親が、青森の三内丸山遺跡に行きたい、と前々から言ってた事を思い出し、それならば、日本三大霊場の一つ、恐山も組み合わせ、もう生と死の狭間まで見せてやれ!と
『生きてる間に三途の川まで渡って頂こう』、親不孝者の息子はそう思った。

そして今年の旅の舞台は青森へと続く。。

━━ 1日目『喜と怒』 ━━━

関西・伊丹から飛行機で青森へ飛んだ両親と東京から合流の姉と私は弘前で合流。
駅前でレンタカーを借り、走り出すか出さないかで母親の一言。
『この年になってまだ4人で旅行するとは思わんかったわ。』とブツブツ。
そう、私と姉は三十路を超えているのにまだ独身であり、親に孫の顔を未だ見せずにいる。だから家族水入らずの4人旅行は、両親へのお詫び旅行でもあるのだ。
そんな時は、まま、お母様、まずはお茶でも・・・と話を逸らせるのが姉弟の常である。

さて、まずやって来たのは青森といえばねぶた。ここ弘前では弘前ねぷたが有名で、
夏に街を走る迫力あるねぷたを見るなら『津軽藩ねぷた村』がお勧めだ。
入村料に500円は掛かるが、ねぷたや、伝統工芸、津軽三味線の生ライブまで楽しめるので、ここは両親を連れて行きたかったが、早速500円も勿体無い、とブツブツ。
金はうちらが払うのだから黙って見てくれ、と入って見れば、大満足の様子。全く疲れる。Dsc02545_2 Dsc02552

その後、『弘前市りんご公園』へと車を走らせる。
全国一の林檎生産地として名を馳せる弘前でこの光景を眺めない訳には行かない。
関西人である私達にとっては、りんごが生っている所さえ、余りお目見えしないものだが、流石は日本一の生産地であるだけあって、見渡す限りの赤いりんごりんごりんご、である。どれもこれもズシリと重そうなりんごは1本の木に何十個と生っており、
それが木の本数、万はあるだろうから、圧巻の一言。一目何万個か?
更に赤いりんごの先には青森を代表する岩木山がバックにあり、ロケーションも素晴らしく、何事にもケチを付けたがる父もこれは凄いな!と感嘆。『拾ってはいけません』と
立て札が立っているにも関わらず、落ちているりんごをいそいそと拾う母。
その2人の姿を見ているだけで、弘前のりんごは偉大である。勿論味も最高だった。Dsc02572 Dsc02568

4人を乗せた車は弘前を離れ、県道28号線の白神ラインより、県西部の白神山地へと向かう。世界自然遺産にも登録されている白神山地は、太古の昔よりそのままに生きているブナ林が有名だ。あくまでブナの木であるから、興味のない人にはそれ程面白くは無いかもしれないが、父は日本の大木100などという本を持っているものだから、喜ばないはずがない。
今はブナ林は少なくなったが、ここの木は立派だ、と父。確かに大きい木は30m以上あり、宮崎駿のもののけ姫に出てきそうな雰囲気がある。いつか登山がてら、世界遺産ルートを歩いてみたい、と思った。
というのも車を走らせる白神ラインは道が悪く、舗装もされていない所が多い為、
西海岸まで出るのに非常に時間が掛かり、確保している時間が少ない旅行者にはお勧めし辛い。
以前、春休みシーズンに青森に来た私は、この道を走ってみたかったが、冬季通行止であったので、今回は少し楽しみにしていた。しかし予想以上の道で、情報不足と時間不足が後に響いてしまった。Dsc02592 Dsc02594

というのは、その後、1日目のある意味メインである有名な不老不死温泉に入ろうと思っていたのだが・・・。
日も暮れ始める夕陽の時間、ようやく悪路から海岸沿いに出た車は一路温泉へ。
不老不死温泉は写真で見た人は多いだろうが、アクセスの悪さから中々行きたくても行く事の出来ない秘境の温泉である。国道近くにあるので、秘境、とはは言い過ぎかもしれないが、海のすぐ横に瓢箪型の露天風呂があり、鉄分を含む温泉はオレンジ色に輝き、温泉に浸かりながら、海に沈む夕陽を眺める事が出来る全国でも有名な温泉なのである。
しかし、以前は入れたはずであったのに、今回も私のリサーチ不足か、突然変更か知らぬが、この不老不死温泉、『夕陽時は宿泊者のみ利用可』となっており、日帰り入浴はそれ前で終了していた。
何とかならんか、と交渉してみたが、無理です。明日来て下さい、という業務的な言葉に父は激怒。『少しは融通きかせんかい!二度とこんな所は来ん!馬鹿にしとる』とフロント前で怒る父。
今晩の泊まりを不老不死温泉ともう一つの場所で悩んで、結局もう一方にした為に、怒る父の姿が胸に痛い。
その晩泊まった宿泊先は微妙で、宿の決め手となった夕食で出される幻の魚イトウ(養殖)も淡白すぎて、珍しいものであるだけの、少々期待外れの物に終わったので、気まずい事この上無し。Dsc02609 Dsc02600 

1日目は最後の最後に波乱万丈で幕を閉じた。

━━ 2日目『古代ロマンへの道』 ━━━

2日目は晴天。宿は白神山地の西端にある十二湖に近かったので、朝食後は散歩に出掛ける。
ブナ林に囲まれた十二湖は地震でせき止められた幾つかの小沼や池の総称であり、実際は十二以上ある。周辺はハイキングロードが設置されており、コースによっても違うが、2時間もあれば十分見て周る事が出来る。
この十二湖、自然の浄化作用で水質が抜群に良く、透明度が素晴らしい。
特に有名な青池は何故にここまで青いのか?と世界七不思議にしたい位、青く蒼く、綺麗だった。
朽ち果てた木も水中で生きているようで、まるでここに隠された水中都市があったのではないかと、想像したくなる程に美しかった。見てみる価値は十二分にある。
ちなみに昨晩の晩飯に出てきた幻の魚イトウもここならいてもおかしくはない、と思い、私は釣り糸を垂れてみた。
(実際には青池には魚もいないだろうと思う。十二湖は釣りは禁止されており、あくまで写真ネタ用です)Dsc02652 Dsc02610 Dsc02623 Dsc02650

十二湖からの帰り、昨日から温泉に入ってない母は、『温泉入りたいわね』と愚痴をこぼす。
途中、昨日の不老不死温泉を通るので、一応寄ってみる事にした。
夕暮れ時とは違い、青い空と深い海、白い波と雲に昼時の不老不死は私も始めて見たが、中々清々しい。
父はわしは絶対入らん!と昨日からの敵対心を向き出しているが、母は私は入る、と姉と飄々と風呂に入っていった。
三途の川を渡る前に不老不死という名の温泉に浸かるというつまらない小ネタを考えていた私は父を説得しようとしたが、当然のことながら、聞く耳は持たず。とりあえず雰囲気だけでもと風呂の横までは連れて行ったが、『まっ、こんなもんやろ』と頑固ジジイである。それに引き換え、風呂から上がってきた母は父を横目に『良かったわよ~。父さんはアホや、しょうもない意地張って』と小言も忘れない。Dsc02665

海岸沿いを一気に北上し、津軽半島を跨いで2時間。青森市に戻るといよいよ三内丸山遺跡である。
三内丸山遺跡は縄文時代前期から中期の大型の集合集落跡で、考古学上でも非常に注目度が高い。出土品や縄文時代の説明などがある展示館と、環濠集落の跡地に復元した六本柱建物など、大きな公園のようになっている。国の特別史跡に指定されているが、無料で入れるのもまた嬉しいポイントの一つだ。

父は『日本人が何処から来たか、そのルーツを探る大きな手がかりの一つや』と顔をツヤツヤさしている。
入場が無料だという事は先にも述べたが、ガイドも無料で、色々な説明をしてくれる。。

父と母はそれに従い、一つ一つ丁寧に周っていた。
私は以前来た事があったので、何枚か写真を撮った後は芝生の上にゴロリ。
横を眺めると三内丸山のシンボルでもある六本柱建物が大きく聳え立っている。
1本の木は高さは30m程で正確な木の幅で立てられており、縄文時代とは思えない程の技術力だ。
日本人が何処から来たか、そして彼らはこれ程の物を残しながらも、何処へ去っていったのか、少し考えてみようと目を閉じると、いつの間にか私は寝てしまった。何せ芝生が気持ち良過ぎる。
父は展示館で新しい本も買い、古代ロマンへの夢はまだまだ続きそうである。次は何処へ行こうとしているのか。Dsc02690 Dsc02693 Dsc02696_2 Dsc02698

2日目の宿は県東部にある三沢の古牧温泉青森屋の予約を取っていた。
最近トクーに新規加盟してきた宿だが、今までに見た事が無い程の超大型旅館であった。
22万坪の敷地をもつ大温泉旅館であり、施設内は展示品から売店から遊ぶところから、とにかく凄いの一言。申し訳ないが東京の大江戸温泉物語など屁のツッパリにもならない程で、全てを楽しむには一体何日が必要か解らない。敷地内には大きな池がある巨大庭園や明治に活躍した渋沢栄一の旧邸(文化財に指定)、岡本太郎記念公園、茅葺民家など、歩いていては何時間も掛かるので、車で回ってちょうど良い程。馬車も走っているので、この広さ意味が解らない。

とは言え、温泉旅館としても勿論かなり立派なもので、広い池の中に浮かぶ露天風呂『浮湯』は素晴らしい。泉質もぬめりがあって肌触りよく、近くの三沢基地の米兵さんらしい人達も温泉を楽しんでいたのが印象深かった。
料理はバイキングで、ちょっとお洒落な居酒屋の様な感じのダイニングで、青森の食が色々と出て、お腹いっぱい食べ過ぎて家族そろって大満足。JRのプラン等でも良く出ている青森屋だが、是非お薦めしたい宿の一つにあげたいと思った。

━━ 3日目『霊場恐山へ』 ━━━

3日目最終日は下北半島を駆け上がり、密かなる最終目的地、恐山へと向かった。
恐山は和歌山の真言宗高野山、滋賀県の天台宗比叡山を加えた日本三大霊場に数えられているが、前者二つとは全く別世界にも感じられる。本州最北端の下北半島の僻地にあり、人はいつか北へ北へ死に場所を求めて、恐山にたどり着くのでは無いか、という気すらする。
ヒンズー教徒が聖地バラナシでガンジス河に流され、生まれ変わりたいと願う、輪廻転生ともまた違う、深沢七郎の小説『楢山節考』の姨捨伝説に近いような、その様なイメージを私は持っていた。
下北地方では「人は死ねば魂はお山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。

三沢より約120キロ。お昼頃、雨の振る恐山に到着した。
三途の川を渡り、霊場の中にはテント張りのイタコの口寄せの婆様達がいつ来るとも知れぬ客を待っていた。
イタコとは死者を呼び起こし、自らの口で死者の言葉を伝える人達だが、1回2500円掛かるので、話を聞いてみたいのは山々だが、懐と相談しなければならない観光客はせいぜい写真を撮るのが関の山だ。
数年前に親友に先立たれた母に、どうだ、と聞いたが、あの子は私の胸に生きてるから必要ないと一蹴された。
折角だからと思ったが、簡単に薦めるのは野暮であり、失礼な質問をしてしまったと後悔。

恐山は日本人が想像する霊場という名に相応しく、樹木はほとんど無く殺風景で、
沢山の墓にはカラスが舞い、亡くなった子供達に供えた風車らしきものがカラカラと廻っていた。
もしこれが生と死の狭間なのであれば、余りにも寂し過ぎると思ったが、これもまた霊場と言われる恐山の所以なのだ。
殺伐とした風景を先に進むと「剣の山」「賽の河原」「血の池」があり、益々気分は滅入ってくるが、その先には極楽浜と呼ばれる美しい湖(宇曽利湖)があった。極楽浜は水も綺麗だが、所々で水中に温泉が湧いており、
硫黄の黄色い成分が砂浜と交わって綺麗なコントラストを生み出していた。

極楽浜から寺院の方へ戻ろうとした時、観光客なのか30代後半ぐらいの女性が一人、こちらに歩いて来たので、母はその女性に『向こうは殺風景だったでしょう。極楽が向こうにありますよ』とつまらない事を口走った。
当然の如く、その言葉に父と姉が怒り出し、『もしかして単なる観光客じゃないかもしれないのに、何て事言うんや』と、アホか!と罵る。恐山の本尊は延命地蔵菩薩で子供の守り神でもあるから、小さい子供を亡くした親が、供養をしに恐山に全国から訪れる事も知られている。その女性が果たして単なる観光客かどうかは解らないが、単なる観光気分で来るには恐れ多くも恥ずかしい恐山なのであった。母にはまだ恐山には早かったようである。Dsc02731 Dsc02756 Dsc02764 Dsc02762

恐山のその後は最北端大間まで足を運び、マグロ丼(大間のマグロ?)を食べて、帰路へ向かった。
寒そうな津軽海峡に白波が立ち、雨と強い風が吹き付ける。最後まで青森らしかった。Dsc02785 Dsc02775

下北の付け根にある野辺地で両親と別れ、姉と私は東京に帰っていった。

翌日関西に無事に帰った母から『今回は色々と有難う。来年も楽しみにしています』とメールが入っていた。
嬉しい反面、当分彼らは落ち着きそうに無い。