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旅のプロ、旅へ出る

立花宗茂の「文禄・慶長の役」における足跡をたどる旅


今回の旅のテーマは、私が尊敬する人物の一人で、戦国武将の立花宗茂が「文禄・慶長の役」
で出陣した折の足跡をたどりました。

立花宗茂は義に厚く、家来の面倒見がよく、その徳を慕って多くの家来達が集まりました。
立花家の大変な苦境においても常に上下一体となり乗り切りました。
天下分け目の「関が原の合戦」の際、宗茂は西軍に加担した為、結果、領地の柳川を追われ
ました。流浪の間も十時摂津や由布惟信などの家来が良く支え、ついに20年後には柳川藩の
殿様に復帰しました。

1592年(文禄元年)豊臣秀吉の命で、朝鮮出兵(侵略戦争)が開始されました。立花宗茂は第
六陣として毛利輝元と小早川秀秋とともに釜山へ渡海しました。

2009年6月26日(金)
羽田発 ANA981便で羽田空港から福岡空港へ。
10時00分、博多港から「ビートル109便」に乗船し釜山港に向けて出航しました。
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釜山港到着は12時55分。
釜山では、2泊3日のツアーに申し込んだから港に着いた早々、現地のガイドが出迎えました。
お決まりのように免税店に連れて行かれ、その後ホテルへ。
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飛行機の中では「空弁」を食べて以来、昼食をとっていないのでホテルチェックイン後、
近くのジャガルチ市場へ行きました。
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ここでは、1階で食材を選んで、2階で調理してもらってその場で食べることが出来ます。
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「文禄・慶長の役」の当初は、日本軍は破竹の勢いで朝鮮軍に勝利していました。しかし、
朝鮮水軍の英雄「李舜臣」の采配で日本水軍は大打撃を受けました。その為、日本からの
補給をたたれ、日本軍は大変な苦境に陥りました。

夕食後、竜頭山公園へ行き、「李舜臣」の像と対面しました。
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竜頭山公園の中にある釜山タワー
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韓国に来たらやっぱりマッサージでしょう!
店名:釜山スポーツマッサージ 30,000W/40分 
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2009年6月27日(土)
朝食は釜山名物の「シジミスープ定食」を食べました。塩味で、しじみのエキスがたっぷ
りでした。おかずの韓国風サバの味噌煮込みは絶品でした。(笑)
店名:ソムジンガン 6,000W
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今回の最大の見所は「立花宗茂公も滞在したと思われる子城台(釜山鎭支城)」です。
子城台(釜山鎭支城)は「文禄・慶長の役」1593年(文禄2年)に、毛利輝元と小早川秀秋
が日本式の城として築きました。
石垣は「野図ら積み」で日本式であることが良く分かります。
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昼食はやっぱり「冷麺」ですね。
ロッテ百貨店10Fで食べました。6,000W/1杯
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夕食にはやっぱり「焼肉」でしょう。
最高級の韓牛を食べさせてくれるお店に行きました。
店名:韓牛名家 100,000W/1皿(5種類のA5ランクの牛肉)
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今日もやっぱりマッサージでしょう!
店名:オアシス 35,000W/50分 
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2009年6月28日(日)
08時30分、釜山港から「コビー202便」に乗船し博多港に向けて出航しました。
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博多港到着は11時25分。
お迎えに来てくれたマツダレンタカー博多港口店でレンタルしました。
車種はアクセラでした。
トクー!レンタカーで予約。\13,750/(税込み、免責込み、乗り捨て料込み)
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博多と言えばやっぱり「長浜ラーメン」でしょう。ということで食べに行っちゃいました。
店名:元祖長浜屋ラーメン 1杯400円! 替え玉100円! 安さ!と美味さでこの行列!
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博多から先ずは太宰府天満宮へ行きました。
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太宰府天満宮と言えば、やっぱり「梅ヶ枝餅」でしょう。食べちゃいました。
焼き立てで本当に美味しかったです。
店名:寿庵 寺田屋
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柳川への途中、有馬氏21万石の久留米城に立ち寄りました。私の訪れた83番目のお城です。
ちなみに幕末の時点では日本全国には171ヶ所のお城がありました。

立花宗茂が「関が原の合戦」の敗軍の将として柳川を追われた後、田中吉政が32万5千石で
封じられ柳川城を本城とし、久留米城を支城としていました。
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今は篠山神社が鎮守しています。
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16時00分頃 旧柳川藩主・立花家の別邸「御花」に到着しました。
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名勝庭園「松濤園」です。
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「御花」にチェックイン後、早々、柳川城を観に行きました。現在は、石垣、土塁の一部
のみが残るだけですが、私の訪れた84番目のお城です。
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柳川城天守閣の模写図です。
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翌日は雨天予報なので、30分コースでしたが、「柳川の川下り」を楽しみました。
「御花」の前から乗船 1,000円/30分
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柳川と言えば、やっぱり「うなぎ」でしょう。
ということで夕食は柳川名物「うなぎのセイロ蒸し」や有明海の珍味をいただきました。
食事所は集景亭でした。
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※この他に舌平目の唐揚げが付いていました。

「夕食後、立花家十七代による講話をお楽しみ下さい。」とのことで、立花寛茂氏とお話す
ることが出来ました。宗茂の子孫の方とお逢いし、実際、お話を聞くことが今回の旅行の最
大の楽しみでもありましたので感慨無量でした。
寛茂氏も、今回の旅行が立花宗茂をテーマとし、事前に勉強してきたことに大変感激されま
した。
16代(料亭・旅館「御花」の創業者)が執筆した本「柳川の殿さんとよばれて」と17代の母
上(立花家の姫様)が執筆した本「なんとかなるわよ立花文子伝」の2冊もいただきました。
改めて御礼申し上げます。早速、読ませていただいております。

それから、16代当主は立花家の婿さんでお父様は島村速雄とのこと、これにも驚きました。
島村速雄は、日本海海戦で世界的に勇名をはせた東郷元帥の参謀長として活躍しました。
今年の暮れのNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」にも出てくると思います。

立花家十七代当主「立花寛茂氏」との2ショットです。
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2009年6月29日(月)
朝食も大変美味しくいただきました。
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朝食後、小雨降る中、戸島邸と十時邸の見学に行きました。

戸島邸です。
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こちらは十時邸です。
今は寂れていますが立花宗茂を常に支え続けた家来「十時摂津」の子孫の方が住んでいた家
です。
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立花宗茂のお墓は市内の「福厳寺」にあります。
ここは立花家の菩提寺で初代立花道雪(宗茂の義父、宗茂は立花家の婿)より代々の当主のお
墓があります。
宗茂公のお墓参りをさせていただいました。

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お昼はまたラーメンを食べちゃいました。
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ラーメン屋さんなのに「おでん」もあり、これもまた美味でした。
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午後は立花家の宿敵、鍋島氏36万石の佐賀城を観に行きました。残念ながら、本丸御殿を模し
た「佐賀城本丸歴史館」は休館でした。佐賀城は2回目の訪問です。
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帰りの飛行機にはまだ時間があったので、雨天ながら、吉野ヶ里遺跡も観てきました。
お天気であれば見応えもあったかと思います。雨なので限られた部分しか見れなかったのが少
し残念でした。
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18時55分、佐賀空港発ANA456便で羽田空港へ帰りました。
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85番目のお城は何処にしようかな?(完)